やさしさと弱さと強さをもつひと

スペシャでさくガのネタバレ見てしまった。
序盤から気持ちが入っていてこみあげるものがありました。そして曲終わりの切り替えの「メンタルモンスター」までが見どころでした。
オーラス後に「涙をふいているのを見た」って言う人が多かったけど、目の下についた桜のはなびらを取るところが、そのしぐさが見えない方のひとからはそう見えていたかなあと思ってたの。左ほほについたはなびらは彼のところからはなれたくなかったみたいで、取るのにてこずっていた姿をいまでもしっかり思い出します。
でも、映像になったのを見ると私が見た花びらを取るシーンは無くて、それ以外のそういうしぐさや表情がみてとる事ができます。大切なひとを想う姿が。
 
で、ここからの切り替えがすごくてね。
この一曲は亡くなったお父さんに捧げると決めていたけれども、でもここはコンサートの場で、彼はエンターテイナーであらねばならない。観客のことは決して忘れてはいけない。さくガのゆうやは最後の音が終わった瞬間に消えます。こういうところが尊敬できて、やっぱり好きだって思い知らされてしまう。
 
ゆうやをよく見ているヲタクのひとはよく知っているんだけど、彼はとてもとても真面目で傷つきやすいひとなのですよ。だからヲタクであればあるほどいろいろ心配しちゃう。強がっているんじゃないかなあって。
でも私は、彼はマイナスなものが入ってきたときに、それを咀嚼してプラスにして出すという訓練はしっかりされていると思う。
つい最近もあったよね、
にゅーりんで「少し良くないことが久しぶりに起きてもうたんだけれどもタイミングとしては厄払いじゃないけど不幸中の幸いでこのタイミングしかないというときに起きてよかった!!」って。
「良くないことが起きたけど」「よかった」で締めれる。これはやはり彼が好んでとりいれてる自己啓発本の効果だとおもっています。
だからそんなに心配しなくていいんじゃないかな(と、自分にもいいきかせる)
 
私がここで書きたいと思っているのは、そういったメンタルコントロールの部分とそれをしっかりやらねばならなかった感受性の強さ、そして、彼の自己マネージメント力。自称「ひとみしり」の「ひとたらし」力。
そしてにゅーすの末っ子の「ひとみしり」はぜんぜん意味あいが違う、でも根っこは一緒なんだとか、もちをも書いていたけど、表現するにも適材適所があってそれをわかっているとか。
 
前エントリでもちをが「基本的に表現する人って何かに飢えているわけで」と書いてたけど、まさにわたしもそう考えていて、自担手越祐也もとても飢えている。その飢えたエピソードにぶち当たるたびに母性は「そんなに不安がらなくても貴方はもうちゃんとたくさん持っているよ」と叫びたくなる。でも餓えていないと前に進めないのだなと思うと貪欲なファンである私は見守るしかない。いやじっさい見守る以外できないのだけど…
 
あとあと、先週の「嵐にしやがれ」で「ジャニーズ1の暴れ馬手越祐也」と言われてたけど、ゆうや嬉しかったろうなぁ。暴れ馬だろうがなんだろうがとりあえずジャニーズ1は取れた(笑)もちろん彼が欲しいのはジャニーズ1じゃなくてもっととびぬけたところにあるので3合目踏んだというところかなぁ。
これもマネージメントの一環だと思っているよ暴れ馬くん。
 
あと書きたい事を備忘録的に置いておくよ(もちをのマネ)
 
けーらじの3/1と3/8かな。コーナーが終わるという事で叫びだしたやつ。
「2期連続ドラマ打ち切られるの!おりゃあもう出ねえぞ主演はつらいな戦犯とか言われる2番手3番手がいいわ視聴率良かったらほめられる悪くてもせめられない(以上てごしの初体験でした)主演は本当につらい(うっひゃっひゃ)」(いきつぎなし)
これの隠された意味、書きたい。
 
あともちをの「1次的」に対しての「2次的」
これ、「手放す」に対する「任せる」ともいえます。
これ早急にやろう
 
暴れ馬マネージメントのことは書くかどうかわからん。爆弾やし。でも彼の事をよく理解している参謀が居る説を書きたくなったらそれに絡めて。
 
こんなかんじで書きたいことはたくさんあるけどみんなホワホワしててちっとも文字として結ばない、頼りない事このうえないももをでつが、もちをの力を借りてとりあえずはいくつかはがんばってみよう。
 
では次エントリはもちをの「1次的」ってやつです(むりやり)どうぞ~

もも┌(⚫︎'o'●)┐