カトウさんエロすぎ警報/手越さんアトラクション並びすぎ問題

ほわいとみたよ。
 
ソロMVもみたよ。
 
なんですかあれ。カトウさん。面白いね。
なにが面白いかってね。カトウ白はカトウギャルソンのインナーワールドだと仮定すると、
カトウ白がカトウギャルソンにネスト(入れ子)して、それをカトウ監督がネストして、そこに観客(わたしたち)がネストするというマトリョーショカ。それをまたふたをあけて
私がこの感想を書いたのを見てもちをがその感想を書いたりしたらまたまたネスト。
うほうほ楽しい。
 
あのカトウ白、いつも隠してるエロさむき出しにしてきてるね。いつも冷静なのに(もも語録、察して。)熱いね。
あのカトウ白、なんのフタ開けようとしてんのかな。役としてのカトウギャルソンのフタ開けるだけのために出してきたわけじゃないよね。
 
もちをの書いた「一次的」なカトウさんもありつつも、「二次的」なカトウさんも炸裂させたいって思いが絶対あるよね。
 
※ここで「一次的」と「二次的」に関して、少しだけ注釈を加えると
「一次的」な表現とはなにもないところからアイディアをひねり出す創作、骨子。「二次的」は、与えられたお題を増幅する、肉付け。作曲と編曲とか、原作と映画とか。
 
「一次的」カトウさんは、それなりの立ち位置を自覚していて、そこから繰り出すクオリティに見合った「二次的」表現をするひとを求めている。自分の作品を昇華させたいっていう願いね。
それは間違いない。
 
でもこのMVを見る限り「二次的」表現者としての自分もあきらめていないというか、自分で持つ「一次的」能力と拮抗した「二次的」表現者でありたいってのをすんげえ感じる。
 
貪欲だね。加藤シゲアキ
 
今の理論でいくと、カトウ白が今のところネストの最深部に居るよね。
これがコアなのかな。加藤成亮=カトウ白なのかな。
カトウ白がコアでも面白いけど、もっと「一次的」であり「二次的」である加藤シゲアキをプロデュースしたい加藤成亮がカトウ白の中に居るんじゃないのかな。
 
そのあたりはもちをに投げておこう。怒られそうだけど。
 
でもまあコアに近い所にカトウ白があるとするなら、やっぱり加藤シゲアキ本体のフタをあけたいんじゃないのかな。
彼のエロティシズムは前から知ってたけど、もっと出したいんじゃないのかな。(いろいろな意味で)
 
かねがね彼のソロはいつでも「エロくてリア充」だって私思ってて。
「いつも当然のように相手がいる」のよね。
 
当然のように眠りにつく前にはファスナーをおろす相手がいて、ベッドの上でお魚ちゃんのように泳いだり。ちょちょいとつつくと若き淑女もすぐ陥落(甘落)してふたりでかくれんぼ。
ヴァンパイアですら生死がかかっていてもまっすぐな愛しかないし。
星の王子さまもね、前に進むのが辛くなったときには、苦悩をうずめる方法がそばにちゃんとあって、そこには息づかいときぬ擦れしか聞こえない、そんな情交。
 
どれも愛の終わりは設定されてなくて、今の甘い生活はいつまでも続くのが当然なのよ。そこに出てくるひとはだれも別れる日なんて想像しちゃいない。(噛まなければ)
 
シゲちゃんが「リア充」とか、「いつでも相手がいる」って言いたいのではなくて、そういう愛情が理想なのかなって。
シゲちゃんにとって愛(情交)とは日常にふつうにあるもんなのよ。だからカトウ白ってばあんなにエロイの。
 
 
対して手越さんのは期間限定の愛ね。
いうなればアトラクション。
行列に並んで、ドキドキを体験するわけですよ。
たとえばフラれる瞬間まで心離れにきづいていないジェットコースター。急激に上がった恋は急降下して、もうジェットコースターの降り場なのに、ほかの男に抱かれてると思うと耐えられないキイイイイイイってなってる。はやく降りて。
あとは観覧車ね。ピークすぎて別れるまでのカウントダウンを好んでしてる。相手のことを思って観覧車から降りなきゃってなって、別れが迫ってるからこそ燃え上がるみたいな。
なぜか彼、この観覧車の景色が気にいって何回も乗ってる。しかも下りが好きみたい。
まあね、はじめてハダカみたときのドキドキが薄れるのが嫌で一緒にお風呂に入りたくないひとだからね。いつでもドキドキしてたいなら新しい恋がいいわな。
 
 
でね。そうやって観覧車が好きなのも、自己分析ができているからなのよね。
「観覧車に乗りたい」っていうソロの希望出している時点で彼はちゃんと「一次的」思考を持っていて企画力も備わっているわけだ。
でも彼は「2次的」なところに重点を置いているというか、自信を持っているのよ。
 
Theme of "QUARTETTO"の最初のうちあわせの時に「寝てた」って手越さん言ってたでしょ。なんでそんなことしちゃうんだって思うよね。
でもわたしその「寝てた」っての見て私それ見てニヤニヤしちゃったの。それが何を表すかというと、
「打ち合わせしているメンバーやスタッフに全幅の信頼をおいている」ということ。チームワーク作りがしっかりできている。
そしてもう一つ、「(信頼する人から)出てきた企画は、素材の味を生かしてしっかり調理しきる自信がある」ということ。
「打ち合わせ」が嫌いなのも、材料を揃えるのは自分じゃなくて、とても熱意をもって、カジキを釣っている人がいるから信頼して任せている。
はやくカジキ持ってきて、おいしいの作るから。って待ってる。
企画をパッケージ化するべく手をこまねいている。
 
つまりそこはシゲちゃんと同じで、自己分析ができているからこそ、「一次的」なところは得意な人に譲って、適材適所というべきか、チーム全体の事を考えてなのか、自分のすべきところに最大の熱量を注ぐために爪を研いでいる。
 
この「自分のすべきところに最大の熱量を注ぐべく」というところについてはまたいつか掘り下げたいなあ。
 
シゲちゃんが、「二次的」表現者としての自分も底上げしたいと貪欲なのに対し、
手越さんは、「二次的」表現者としての自分をもっともっと押し上げたいと思っていると思うの。「一次的」なことは得意な人にまかせて。そういう貪欲さ。というか、システマティックなとこある。シゲちゃんのが泥臭い。どっちがいいってわけじゃなく。
目標を高い所に置いて、それを達成するためのステップを築いて、どうやったらその最終目標に対し太く堅牢なトンネルをスピーディーに作れるか。
スピードも重視しちゃうから、時々ハンドル操作を誤って血まみれになってるけど、ただじゃ起きない。
 
 
…思考が暴走したわ。
その件についてはまた(ほんまか??)
 
 
とにかく、NEWSに関しては、増田さんは間違いなく一次的なひとだし、小山さんはコーディネイター。調整役。これは二次的。
 
一次的なことを得意とするのが二人、二次的も二人。
で、日和見がひとりも居ないのがすごいのよね。これだけダイナモ動かしてたら風もくるわ!!ってのはヲタの欲目かな。
 
というわけでWhiteまた逝ってくるわ!
 
ヲタの皆様方、ツアー中盤です。体力つけてのりきりましょう。イケメンのパンチに負けないように。

もも┌(●'o'●)┐